水曜日, 8月 31, 2005

冥途印じぱんぐ

最近,たまたまジーパンやスニーカーを買い・・夏はモノが安いからね・・で,何気なく見てると,メイド・イン・フィリピーンとかメイド・イン・インドネィージァとか,書いてあるわけですね。
アジア製品,大いに結構なんだけどさ,労働賃金は日本やUS/西欧と比べて大いに安価なことでしょう。
だけどたとえばこのレヴィ・ストロースのジーンズ,フツーに買ったら1万円以上する商品ですよ。それをさ,そんなに生産コスト抑えないと作れないのかよ?? 価格破壊・価格競争で値段を少しでも安くするために,いろんな努力をしてる・・てんなら分かるんだけど,ジーパンだのスニーカーだので1万とかって,今のカジュアル全盛な文化だと当たり前みたく感じさせられてるけど,基本的に高くはないですかー??
ニューバランスのスニーカーなんて,フツーはみんな中国製とかで,USとか英国製のモデルは,2万以上とかするよね。(「どうなの?スニーカーで2万って??」というフツーな感覚が元々あるわけで)
どうなってんの?? もともと安くない商品を,なんでそんなにコスト抑えないと作れないの??
・・などと自問しつつ,それは・・まぁ,大まかに言って,広告費なんででしょうが。。それって,どうなんだろうね。。そんな世の中。。

ふと気づくと,一昔前に多かったメイド・イン・コリーアを見かけない気がする。急速な経済成長を物語ってるわけですね。

火曜日, 8月 30, 2005

植物も動物も、人間のために在るのではない

毎日,植物や動物や魚を食べて生かされているわけですけどね。そうすると,人間の味覚っていうのも何なんだろうね。面白いな。

・・などと,さっき種ナシの巨峰を食べながら。
「ヒトの勝手でタネ抜いてええんかい!!」と。
種を抜かれて,味も変わってるかも分からないね。葡萄も,ヤル気無くなってるかも分からない。ってか,植物にとって,自分の味ってなんだろう。それは,人間ならずとも捕食者に食われる「予感」のようなものがあるんだろうか。。もちろん,自分のタネを広めるために,媒介者に大して甘くある必要はあるだろうけど。

たとえば植物にとって,人間も動物もまだいない世界で,誰にも食べられずに,生まれてきて〜枯れていくなら,自分にとって自分の味ってなんなんだろうか。というか,そもそも味は味わう相手がいるから味なのですね。

・・と,種ナシ巨峰でも,ところどころタネがしっかり残っているツブがある。ヒトの都合で左右されない植物の,無意識的な底力を,感じたりもしてしまう。