土曜日, 4月 14, 2007

ヴォネガット死す

僕は都民ではありませんが、先日の都知事選の結果を見て一番感じたのは、あぁ、東京もひとつの地方なんやね、という当たり前のことでした。

「地方」というと語弊があるかもしれず、いわゆる「地方的」なものを示す場合、それは「都市的でない」という意味ですが、実際の「地方」(東京でない場所)は東京よりよっぽど「都市的」じゃないかなと感じることもあります。さまざまなことへの住民の意識の高さや、それこそ環境への取り組み一つとっても、なんでもないフツーのウチの実家の親みたいな人が、フツーに実践してたりします。


最近いくつか、東京でない土地で芝居に携わられてる方々と知り合う機会を得、するとまたここでも、東京でない場所の演劇人の、志や、水準・技術の高さを感じたりします。

かんたんに考えても、「東京でない」ということは「東京に負けない」という向上心を持ちやすいでしょうし、すでにこの時点で、多数の東京の劇団が追い抜かれていると思います(うー、がんばらねば・・汗)。


そんな折、米国の作家、カート・ヴォネガットが亡くなったと知りました。階段での転倒が原因とのことでした。


何年か前に断筆宣言をして、小説は書かなくなっていたものの、どこかにヴォネガットがいて世界を見ているということが、自分にとっては指針のひとつのようになっていました。自殺の不安がささやかれたことはありましたが、ヴォネガットが死ぬ・・というイメージがなんとなく無かったので、こんな風に亡くなって意外なように感じています。84歳だったとはいえ。

人災や天災や、世の中ではいろんな出来事が起き過ぎていますが、なにか事があるたびに、「ヴォネガットは何て言うかな、どう感じているかな」と気にする。僕にとって、そんな風な存在だったでしょうか。

小説では、ジョージ・ロイ・ヒルで映画化された「スローターハウス5」がもっとも有名ですかね。
ヴォネガットは二次大戦で独軍の捕虜になりますが、ドレスデンで連合軍の爆撃に遭います。一夜明けて防空壕を出ると、美しいドレスデンの町が廃墟になり、おびただしい死体の山がころがっていた、その体験がこの小説のベースになっています。

ネットを探すと、断筆後の新聞コラムやスピーチなどがいくつか載っています。
大統領をこき下ろしていたりと、相変わらず舌鋒するどいですが、彼が、どうやらペシミズムの中に死んだらしい・・ということが、気がかりです。


書棚から十数冊のヴォネガットを取り出しました。久しぶりに、しばらく読み直していこうと思います。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

http://www.cnn.co.jp/showbiz/CNN200704120019.html
http://www.nytimes.com/2007/04/12/books/12vonnegut.html