火曜日, 6月 28, 2011

カンサーンとサカモッチャン

つぶやきにいくつか載せた、「みんな楽しくHappyがいい」という、少々(おそらく確信犯的に)オフザケめいた題のブログ。どんな方の運営か知りませんが、ustream動画や新聞記事などからの精力的かつ大変すばやい文字起こしに、本当に頭が下がります。ネット上には、こんなサイトがたくさんあるんすね。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/

こちらのブログから、「自然エネルギーに関する、総理・有識者オープン懇談会(6月12日)」の、菅さんのスピーチが掲載された回、それと坂本龍一ビデオメッセージの回とを転載します。ぜひご一読ください。(無許可ですが「コピペ自由」とのことで。)
これ、新聞やテレビでほとんど取り上げられなかったですよね?


原発事情やウラ事情を知るにつれ、どんどんと気が重くなっています。自分のこれまでの無知にも相当に気が滅入ってます。

(ちなみにテレビや新聞は、原発停止につながる報道にかなりのフィルターがかかってるようで(逆の意味で節電キャンペーンも)。福一の危機的状況もあまり報じられず(かしいだ4号機が崩落したらどうなるか、とか)。テレビ・新聞のみの人と、ネットやツイッターも使う人とで、大きく態度の分裂を生んでるようです。)

・・で、やはりハッキリと感じられるのは、コレ、人間が手を付けちゃイカンものだ、ということでした。

(根本的には、つぶやきに載せた肥田舜太郎医師が言われるように、核兵器や国家間の力の均衡といった問題を避けて通れませんが。)


ボンクラな僕にも、「全量固定価格買い取り制度」や「発送電分離」が、これからの日本にどんな大きな構造変化を生むものか、そのスゴさがようやく分かってまいりました(_)(これも新聞やテレビでは、適切に報じられてないと感じます。)

たとえば再生エネルギーの可能性を考えたときに、「本質的にムリ」なのか「ムリになるように制度が整備されてしまってる」のかは、全く異なりますよね。
(しかし当座の原発停止には、再生エネルギーへの移行が必須なわけでなく、現状のインフラで足りるようですが。)


めちゃくちゃに反動勢力が強いですよね。僕は以前に舞台で演じた「ボーガン・ド・デストパーゴ博士」という存在を思いだしてます。

このまま旧態に戻るなら、見た目は大きく異なれど、たとえばカダフィ下のリビア圧政などと変わらないではないかという気がします。

もはや風前の灯となった首相の命運ですが、なんとか在任中に、これらへの道筋がつきますよう。



*タイトル下に元URLを載せてます。そちらでは動画も視聴できます。また、他の記事も中身が濃いのでぜひ。(動画の元は首相官邸サイト→ http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg4972.html

*懇談会の全体は「書き起こしドットコム」にも掲載中です。
http://kakiokosi.com/2011/06/%E3%80%90%E5%85%A8%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%8D%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%80%91%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E6%99%AE%E5%8F%8A%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%A6%E3%80%85/

*ちなみに、日本の電力会社の来歴は、「エコレゾウェブ」の田中優さんの回に少し解説があります(戦前には600の電力会社があったとか、、まるで知りませんでした)。こちらも内容が濃いので、ぜひご一読を。
http://www.eco-reso.jp/feature/love_checkenergy/20110318_4983.php

*今やテレビも新聞(朝日ですら)も「菅おろし」ですが、その背景は同サイトの下記が参考になるかも。
「飯田哲也氏のコメントで漠然とした不安が事実と気が付いた」
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-460.html
「菅降ろしに原発の影」(東京新聞)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-479.html



多少のかなづかいや文言を訂正しました。

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報道されない菅総理のコメント「総理・有識者オープン懇談会」(6月12日)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-464.html

昨日の菅総理の発言に関して、言い間違えた一部分だけが取り上げられている内容が多く、本音の発言に関しては新聞もテレビもネットの書き込みですらあまり見かけないけれど、昨日の自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」で菅総理が話した内容は素晴らしいと思いました。

私は、初めて日本の総理大臣を応援してみようと思いました。(退陣させられそうだけど・・)

菅総理のその部分のコメントを、できる限りそのままの内容で書き出しました。飯田哲也氏のコメントのブログ(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-460.html)と、ご一緒に見ていただきたいと思います。


自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」

日時 平成23年6月12日(日)14:00-15:30
場所 首相官邸
参加有識者(50音順)
 枝廣淳子(環境ジャーナリスト)
 岡田武史(元サッカー日本代表監督)
 小林武史(ap bank代表理事)
 坂本龍一(ミュージシャン ビデオメッセージによる参加)
 孫正義(ソフトバンク社長)
 司会・藤沢久美(シンクタンク・ソフィアバンク副代表)

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私も、ほぼみなさんの言われたことと同感です。ふつうなら反論するところなんですが(笑)。
せっかくの機会だから、少しだけ私のような政治家の立場で、日本のエネルギー政策の決定(今は私が責任者ですが)、その今後の変化、これまでの事も含めて、少し申し上げたいと思います。

30年前に初当選した時に、機会があってアメリカのウィンドテストセンターというところに行きました。そしたらいろんな風車が回っていて。「発電したものをどうするんですか?」と聞いたら、「電灯線に入れます」と。自動的にメーターが動いて、売る電気と買う電気を管理する。

日本に帰ってきて、「そういうのはどうなってる?」と聞いたら、「いや、日本には電気事業法という法律があって、一個一個とかそういう電気は買えません」と。「東京都のゴミ発電ぐらい大きいのなら買ってもいいですが」という、非常にハードルが高いんですね。

それからもう一つ、これは非常に行政の問題なんですが、科学技術庁というのが当時ありまして、今は文部省と一緒になりましたが、同じく「風トピア計画」という研究をしていました。私は非常に興味を持って国会で質問しました。

結論的にどうなったか。今から30年前ですよ? 結論的に「全く採算性が無いから駄目だ」と。つまり、「行政がやらなかった」だけじゃなくて、わざと「やってみたらやっぱり駄目でした」と言って潰したんです。

三宅島に、東電が外国から買ってきた、半径20メートルぐらいの大型の風力発電を2基持っていました。私は行って、そのはしごに登りました。それも同じです。数年たったら「やっぱり駄目でした」。

つまり、行政に一つの方向があったんです。日本の場合には、「ある時期から原子力を進める。その上で結果として邪魔になるものは、できるだけ外していく」と。

私は30年前にそういう実感をしてから、それはずっと感じていました。ですからこの、全量買い取り制の問題でも、「何故できないんだ」と言うと、いろんな理屈を言います。「周波数が変わるから」とか。しかし、そんな事は孫さんに頼めば何とだってなるんだから(笑)。できない理屈ばっかり山のように持ってくるんですね。

ですから、これをどうやったら突破できるかなんです。

まぁ総理大臣だから、「お前やれ」と言われるのは、まさにその通りなんだけど。実は結構、分厚い構造ができ上がっているものですから、それを変えることができるかどうかというのが・・・。まさに今これが変えられなかったら、また10年ぐらいは、変な話ですが、動きません。

で、国会でも3月11日にその法案を出して、私も経産省大臣から関係の担当者に「何とか早くしろ」と言っているんですが、なかなか動かない。

私は、あえてみなさんにお願いしたいのは、この自然エネルギーは、幸いにして、大きな会社が100万キロワットのをドーンと3つ作るとかじゃなくて、それこそ5キロワットとか、大きくても1000キロワットのものをあちこちに作る。

まさに、国民参加型エネルギーですから、「国民参加型エネルギーを国民に解放しろ」ということを、ぜひ、まさに投票権と同じように「エネルギーに参加する権限を与えろ」と。

それには、全部作って、売り先まで考えて何とかしろ、というのは普通の人にはできないわけですから、ちゃんと配電するメーカーが、一定の価格で買って配電するのは当然のことなんです。そんなことを少し申し上げました。

もう一つ、私も、行政の責任者という立場もありますが、やはり、省エネというのは、やや消極的に聞こえる。

先日、東大の学長をされた小宮山宏先生と話したんですが、20世紀はエネルギーの使用量とGDPの増大がほぼ並行していたと。

しかし21世紀は、逆に、エネルギー使用量全体を下げることがきちんとした形を取れば、生活の質を決して下げずに、上げることになる。あるいは、イノベーションとして産業にもプラスになると。

つまり、今の行政の発想、関係者の発想は。。「安定供給」という言葉を、小宮山先生はその会議で、「なんで安定供給、安定供給と言うんだ」と。私は一瞬「えっ」と思ったんです。

つまり、「安定供給とは、供給が前提に入っている。そうではなく、供給量を減らすんだ。減らしても大丈夫な技術や社会を作れるんだ。だから、安定供給とは、<いま供給している物を減らしたら危なくなりますよ>という、潜在的な現状維持の言葉じゃないか」と言われて。私もやはり、なるほどと思ったんです。

そういう、このかなりの広がりで、単に政治の場だけではない広がりで、こういう形が広がっていますので、やはりそれを変えていくには、私からの、ご覧になっているみなさんへのお願いですが、みんなが、投票するのと同じように、自分たちにも電力を作らせろ、と。そして、それをちゃんと売ることができるようにしろ、とですね。そういう輪が広がっていけば、私は政治が多少変化しても逆戻りはしないんじゃないかと。みなさんの話を聞きながら、そんな思いを持ちました。


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坂本龍一氏ビデオメッセージ
心が熱くなりました。総理オープン懇談会より
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-488.html

坂本龍一さんのビデオメッセージは私の心に深く重く響きました
その部分の、坂本龍一さんのメッセージを完全に書き出しました

――――――

菅首相、みなさん、坂本龍一です。本日はこのような機会を設けてくださって本当に光栄に感じています。そちらに伺えないのでこういう形でメッセージを届けさせていただきます。
あの、、ご本人を前にしてあれですけれども、いわゆる「菅降ろし」ね。これは国民の大半は呆れて見ていますよ。どういう人たちがそのようなことをしているのかも、大半の国民には分かられてしまっていると思います。

え、、大変な事故を起こして汚れてしまった国土を、なるべく早く綺麗にしていきましょう。

あの、、原子力っていうのは核を使ったエネルギーですから、核兵器も原発も同じ技術なわけですよね。これを動かしてしまったということは、ぼくはパンドラの箱だと思います。

一度動かしてしまったら非常に長い期間、放射性物質が残ってしまうわけで、何十世代、何百世代後にまで禍根を残してしまうことになります。この「放射性廃棄物の最終処分」という問題も全く解決されていないわけで、これはまぁ、一国で解決できることではなくて、世界の、それこそ英知が集まって、考えていかなければならないことでしょうけれども。

やはり、このように危険な原子力というエネルギーに私たちは依拠するのではなくて、ほとんど無尽蔵とも言える太陽エネルギーに依拠して、国のエネルギー政策を抜本的に変えていくべきだと思います。幸いにして我が国日本には、そのような技術もあります。もう技術は出そろっているわけですから、いまはただ、やっていないだけですね。やれば必ずできます。

そして、あの、たとえば原発のように大きな発電所があって、それをケーブルで、電線で、遠いところまで持って行くというのは、本当に非効率的なやり方ですよね。コミュニティごとに自給的にエネルギーを供給することができて、それをインターネットのようにネットワークで結んでいけば、もっとリスクの少ない安上がりなエネルギー供給の仕方ができると思うんです。幸いにして我が国は島国ですから、そのようなモデルを作りやすいんじゃないかと思うんですよね。わが国でできれば、世界の他の国でもできるぞ、と示すことになると思うんです。

広島、長崎、そして福島で、このように核の攻撃、そして核の事故というものを体験してしまった我が国日本だからこそ、世界に向けてそういうモデル作りを、技術的文明としてリードしていく役割というか責任があるんじゃないかと僕は思います。

長くなってはいけませんので、私の大好きな言葉で、明治の田中正造さんという方が日記に書きつけた言葉がありますので、それを読みたいと思います。

 真の文明は山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし

え、、菅首相、福島の子どもたち、妊婦さんを助けてください。

(深々とこうべを垂れて坂本龍一さんのビデオメッセージは終わる)


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長いものを最後までありがとうございました。よろしければご自由に拡散ください。
あ、それから、こちらの「エネルギーシフト勉強会」(松田美由紀/小林武史/宮台真司/加藤登紀子/菅直人)もぜひ^^
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-474.html

水曜日, 6月 22, 2011

夏至に

真夏のような6月の日。

ああ、いい風が吹いているなぁ、と思いながら、風向きはどっちだっけ?と思う。朝、浄水器を通した水でコーヒーを淹れながら、この水はいま大丈夫?と思う。夏至の東京は32度、しかし今年以降、海水浴はどうなのかと思う。・・こうした状況が「不幸」じゃなくてなんなのだろうか。

映画「十万年後の安全」が話題ですが、過去のわずか数十年間の便利さを求めたおかげで(または、便利さに付け込んだ人たちのおかげで)、これからどれだけ長い期間にわたって、危険や不安にさらされ、不便を強いられるのか。

福島原発の状況が危機を増してるようですが、いまもって企業延命をはかり危急の対策が取りづらいとも伝えられます。最悪の事態になったらと考えると、ちょっと思考停止してしまいそう。せめて、少しでもよりよい世の中につなげないと、大きな不幸をこうむった人たちが浮かばれない、と本当に思う。


お昼どきの北品川を歩きながら、まじめに働いている人たちの姿がまぶしい。